叔母は今年91歳、13年前の手術時のブログが出てきました。先生のお陰様で元気です。
叔母の大腸癌が定期健診で発見されたのが3ヶ月前。「痛くもかゆくもなくて検査に行かなきゃわからなかったんだし、もう歳だから切らないわ~」と暮れには銀座で一杯飲みながら言っていた。
77歳、元気だし、きっと超初期でそう進行するもんでないのでしょう、切らないのなら安心!と思っていた。しかし叔母は「切らなくていい」と太鼓判を押してくれるドクターを求め、叔母の愛読書の著者、ホリスティック医学協会会長の帯津良一先生の帯津三敬病院へ。そこに行けば気功やアロマで治る!という事はやはり言ってもらえず、手術の説明を丁寧にしてもらい納得ができたから切ると言う。そして親族に説明をするというので埼玉の川越の隣ののどかな町にある病院へ。担当は鈴木毅先生。「若いなー30代かなー?」と思うと“副院長”とバッチに書いてある。よっぽどできる方のか?まさか人で不足!?帯津先生だって講演ばっかしてて、いつ治療してるんだ?とかなり反抗&懐疑的、私の病院ギライは性質が悪い。しかし叔母が切ると決めた以上、ネガティブになってはいかん!と心中が騒がしいのを鈴木先生は吹き飛ばす。まず事実を明確にわかりやすく患者用の本と医者用の本を並べ部位や一般論を説明した後、レントゲン写真と内視鏡写真を見せる。お皿みたいな形状の癌の塊が腸壁に食い込んでいるのがハッキリと写っている。手術で可能性のある危険性や確立の説明に続き、「5年でこの癌が原因で命に別状があるかといったらまず無いと思います。しかし平均寿命というものを考えると、私たちは癌が原因で亡くなる事を回避するように考えます。手術をした場合としなかった場合で、実際には比べることはできず、寿命は運命的な見地(←この言葉は私たちが先に言ったのかドクターから出たのかは後で話題になりましたが)から同じなのではないか?という意見もありますが、癌があり手術ができる体力があるのであればやはり医者として治癒の可能性の一番高い手術を勧めます。他の方法を試す手もありますが保険適応外で、安全性が高くても治癒率が低い治療法は保険適応にならないのが現状です。もちろんやめる選択肢もあります。」としっかり目を見ながら話す。威圧的のかけらもなくて丁重でストレート。ちなみに20年医者をやっていると言われたので30代でない事は判明。
叔母はそのまま入院で残り、「本当はまだ切るのと切らないので五分五分の気持ちよ、でもここまで来ちゃったからね」と初めて少し引いた。その時「今回はやめて考え直したらいいんじゃないか」と出かかったけど、やはりここまで来たのだから言わなかった。
そして今日は手術。
病室に行くと点滴しながら横になっているのに、叔母はカフェで話をしているのとそう変わらないユーモアたっぷりムード、私たちに気を使って、本当にすごいなぁ、年の功だけでこうなれるのだろうか!?
午前中に1件手術をし終わった鈴木先生が病室に顔を出し、15分遅らせていいかと、「全く急いでませんから、先生が充分休憩してから始めてください、お忙しくってお疲れでしょう」と叔母が言う。“先生、ちょっと顔が疲れてるなー、お願いですから15分と言わずもっと休憩してください”と私は思う。そして1時45分、迎えの看護士さんと共に叔母は歩いて手術室へ。
2時間の予定が3時間近くかかった。ちょっと心配、何度か手術室入り口チェック。妹が「看護士さん達がバタバタしてないから大丈夫だよ」と。2日しか来てないけど本当に殺伐としていないゆっくりムードの病院だ。
手術室に来て下さいと言われ、入っていった。
「お待たせしました、手術で切り取ったものをご覧になりますか?」と先生。意味を飲み込めないまま「はい」というと、切り取ったばかりの臓器が銀のトレイに乗ってきた。「これが癌です。」全く写真のままの形状だ。周辺のリンパも切り取ると説明されていたので、「どれがリンパですか?」と聞くとピンセットでめくりながら教えてくれた。奥の扉が開いたときチラッと叔母が見えて、ただの切り取られた臓器は叔母とは関係の無いもののように思えて不思議だった。
終了後今晩は集中治療室に。弱音を言わない叔母ですが、顔をしかめて「痛いー」と言っていました。あんなにいっぱい切ったのだから・・・。
一刻も早く痛みが無くなって、再発が無い事を。
医学に求められるものは終わりが無いが、代替医療等幅のある考え方や、より先端的な治療方法も保険で受けられる医療システムができると、先生達ももっと治療の選択肢が広がるのでしょうか。安全でも治癒率が低いと保険適応になるのが難しいとおっしゃってました。先生の努力と苦労に感謝しながらも、医療と治療と生命について、ぐるぐると考えながら・・・また長い文章になってしまいました。今日は長い一日でした。